生命力と夜の怖さ
2年前、祖母の家の猫がなくなったとき、とても後悔した。実家から離れて暮らす身で最期に会えなくて、これが最後だとも思わず何気なく話してまたねと言った日がその子との最後になってしまったから。
それから実家に帰省してまた東京に戻ってくるたびに、実家の犬猫とは、これが最後かもしれないという気持ちで接してはいた。
半年後にまた会えるなんて言わずに、またね、それまで元気でねって、もし急にいなくなった時に後悔しないように接してはいた。
だけど、現実に迫ってくるとまた話が違う。
たしかに、これが最後でもいいようにとは思って4ヶ月前にバイバイしてきた。またね、また夏ね、と、まだ元気いっぱいだった愛する猫と思う存分話し、思う存分撫でて東京に戻ってきた、のだけれど。
今、愛媛の実家に、弱っている愛する猫がいる。もう、15年生きているから、人間でいうとおじいちゃんだ。弱って、いつまで持つかわからないと親は言う。
病を患った体に、夜はつらい。
私は生死を彷徨う病気になったことがないからその夜の本当のつらさはわからないけど、ひどい風邪の時も夜はつらいし、寝て起きたら悪化している場合も多いから夜は怖い。
今夜が峠、という言葉もあることからわかるように、夜の闇は何をしてくるかわからないから怖い。
駆け上がって駆け降りてた階段が登れなくなる、ご飯が食べられなくなる、水さえ飲みづらい。
日に日に出来ることが減って、自分自身でも怖くなってるかもしれない。
私は立て続けの体調不良に生命力絶え絶えだというのに、それより厳しい境遇のあなたの生命力は、今どこに宿っているんだろう。
どうか、どうか、あともう少し、怖い夜を越えて待っていてほしい。私も体調悪くてしんどいから一緒に越えようよって。今日も明日もその次も、一緒に夜を越えたい。
私の傲慢かもしれないけれど、最後でもいいようにってこないだバイバイしたんだけれど、でも、やっぱりもう一度会いたい。