風に溶けて消える

そんな穏やかな気持ちで生きたいほんとは。限界OLバンドマン

2019/07/12

 

私は記憶力がすこぶる悪い。長期記憶が本当に弱く、1年前の話であれば私より友達の方が私についてよく覚えていたりする。1年もつ記憶量は、人より少ない自信がある。

鮮烈な記憶であれば、きっと残るだろう。だけれど、ひとつ残らず覚えておくことは、きっと不可能だ。

 

だから私はここで今日、日記を綴っている。

あの時あの愛媛のペットショップで私が預かったひとつの命についての最後の記憶は、何ひとつ取りこぼしたくないから。

 

もともとは、小学2年だった私がペットショップの里親募集の一角で、喚いてうちに連れて帰った子だった。小さくて、やんちゃで可愛い、茶トラ猫の男の子。きなこ色だからきなこと名付けた、これは確か、母の案。

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地元を離れてからする帰省だって、この子に会えるのが一番の楽しみだったりした。

 

もう16年生きて、最近ひどく弱ってしまっていた。あとどれくらい持つかわからないと母から聞いていて、今日の夜私は新幹線で愛媛に帰り、まだ息をしているきなこに会う予定だった。

 

そんな今日の14:00前、母から訃報を受け取った。

 

14:20に到着した東京駅。止まらず目から溢れてマスクが吸収する涙には構わず、そのままに歩き回る。私の悲しみは私だけのものだ。

そもそも人で溢れる東京では、行き交う人の顔なんて誰も見ていない。みんな目的地へと足早にすれ違うだけだ。

 

もう息をしていない愛する猫がいる愛媛へ帰るか、帰らないかを体調と相談しながら延々と歩きながら考えた。30分経っていた。

 

新幹線が立つ10分前にやっと、帰ろうと決断。

いなくなってしまったけど、まだ、受け取らなきゃいけないものがある気がしたのだ。

 

お昼もまだだったので急いで購入し、新幹線乗り場へ。乗り慣れていないから迷い、出発残り2分で駅員さんに尋ねる。

 

「あの、岡山までの新幹線ってどこですか、、」

「すぐ行って左です」

「でもあと2分しか…」

「すぐ行って左です!」

 

間に合うってことなんだろうなと思い、走る。新幹線、難しい。

 

手近のドアから車両に乗って、30秒ほどで閉まったドア。指定席の先まで車内を歩いて移動する。

 

座って一息。

15:30、扁桃炎の薬を飲むためにご飯を食べる。

浜松町からここまでずっと、mol-74の大好きな曲、エイプリルが入ったアルバム「kanki」を垂れ流していたことに気づく。何周したかわからない。

 

田んぼ、木々、家。ギリギリだったから通路側しか取れなかった座席から、新幹線の窓に流れる街並みがすっかり田舎なのを見て、ふっと心が和らぐ。

 

届いたラインの、最後見届けてあげて、じゃなくて、会いに行ってあげな、という表現が素敵で、新幹線でまた涙する。

 

連日雨続きだった都内から発車した新幹線は静岡に差し掛かり、久しぶりに陽の光を目にする。イヤホンから流れるNABOWAの「つかのま」がぴったりだ。

隣に座ったおじさんは、しきりに窓の外を眺めている。私は泣き疲れたので、「晴れ、久しぶりですね。気持ちいいですね」そう声をかけたい気分になった。

 

17:50、新神戸。懐かしの関西、と思いつつ、次の駅で乗り換えの岡山。愛媛まではあと3時間。

冷たくなった体に触れるのがだんだん怖くなってきて、目頭が熱くなる。

 

18:30、岡山で在来線の特急へ乗り換え。

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夕日に照らされた瀬戸内の海は、オレンジとブルーのコントラストでとても綺麗で、目が離せなくなった。

 

耳に音楽だけあてて、海と空を眺める。

odolの「odol」というこれまた大好きなアルバムが、また何周もする。田舎の広大な海と空を眺めながら聴くといつもと聴こえ方が変わってすごく素敵だ。

 

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久しぶりに目にする夕晴れ、これは香川。

 

19:50、すっかり日が落ちて、電車の窓ガラスには自分の姿と車内が映るようになる。

 

そういえば、小2の8歳から、18で実家を離れるまでずっと一緒にいてくれたなあ、なんて思い出す。

 

いじめられて、でも親に心配かけたくなくて言えなかった日も、失恋して頭が痛くなるまで泣いた日も、私が部屋で泣いてると、なんとなく心配そうな表情でそばに来て、スリスリと頭をすり寄せてきて慰めてくれた。

そのたびに、猫でも人間の悲しみがわかるのかなと驚いたものだ。

 

ギターを初めて家で弾いた日も、それに慣れてくれた日も。小2から高3なんていう、一番多感な時期に一緒にいたんだなあと気づく20:00。

 

21:00前。

愛媛に着いて、親に会った。

 

どうしても出かけなくてはいけない用事で、家を空けた1時間の間に息を引き取ったのだと言う。まるでタイミングを見計らったかのように。

 

きなこは、甘えたい時には甘えるけど気分が乗らないときは全く相手にしないような、本当に猫らしい猫だった。

「猫は死に目を人に見せない」って本当なんだなと思って、堰を切った涙。

 

人がいなくなって気が抜けたのか、わからないけど、誰もいないところで命が尽きるその孤独を想像するとまた苦しくなった。

意思なのか、本能なのか。最後まで猫らしいまま、いなくなったのだ。

 

眠るようにいなくなったんだと思う、と母。16歳、おそらく老衰だ。

 

21:30。

家に着いて、3ヶ月ぶりにきなこに会った。

3ヶ月前からは想像がつかないくらい痩せている愛する猫。毛並みはフサフサ、綺麗な茶トラのまま。散々泣き疲れたはずなのに、やっぱり泣いてしまう。少し硬くなった冷たい体に、間に合わなくてごめんね、ありがとう、おやすみ、と告げた。

 

お別れの時。

私と一緒にまた涙を流す母と、表情を変えずいつも通りあまり口を開かない父。

父はいつもそうだ、私が幼い頃から今日もこうして、いつも強い。悲しみを感じていながら、見せることがほとんどない。どうしてなんだろう、わからないが、こういうときの父の強さは本当に心強い。

 

酷く悲しいのは、それだけ幸せを、喜びをもらったということなんだろう。最後まで、ありがとうを伝えた。感謝してもしきれないなあと思いながら。

 

23:00。ひと通り泣いて目が乾燥して眠たい。

悲しいけど、扁桃炎も治さなきゃいけないし生きていかなきゃいけない。

 

私だったら、死んだあとずっと悲しんで欲しいとは思わない。ひと通り悲しんでくれたら、心に存在だけ生かしておいてくれれば本望だなあなんて思うので、私もそうすることにしたい。

 

奪っていくのはいつだって夜の闇だと思っていた私はこの3日間、一緒に夜を越えよう、と願いながら眠りについた。夜は一緒に越えられたから、願いが通じたんだと思いたい。

 

きなこは、私に生命力を灯してくれたような気がする。扁桃炎というタイミングもあるだろう。強く生きていかなきゃいけない、という思いをすごく感じている。

ただの感覚だけど、こういう感覚がきっと一番正しい。感覚はいつだって信用している。

 

 

23:30。以上が本日の日記。

忘れたくない今日という日と、受け取った生命力。ちゃんと文字にしたから明日から、いや、これから何年経っても忘れずにしゃんと生きていけるだろう。かけがえのないものをくれたきなこの存在を、心で感じながら。

 

今日はゆっくり休みます。なきもゆっくりおやすみ。おやすみ。