日常へ帰る
実家の床に寝てると、のそのそっと立つかわいい足音も、外に脱走しない様にと、慎重に開ける玄関のドアもなくなった。
あるものがない、足りない、その寂しさを感じながら過ごした昨日、今日。
3連休、2日目の日曜日。
あの寂しい空間に父と母を置いて帰るのは心苦しかったが、私は私の日常へ帰る列車に乗った。
東京には、待っていてくれる日常がある。戻りたいと思える場所がある。人がいる。これを幸せって言わないでなんと言うのだろう。
実家や、母の作る麦味噌の味噌汁付きのご飯、慣れ親しんだ田んぼの広がる田舎の風景は、私の心と体に余裕をくれる。
実家へ帰省し、日常から解き放たれたすぐは心がスッとするけど、1日2日過ごせば、元の日常に、それがまだ手に入れてないものばかりでもがく日常でも、帰りたいと思える。
今じゃ愛媛の実家は私の日常ではないから。非、日常だ。
私は私でまた明日から、日常を、生活を、立て直さなきゃならない。
そんな私の帰る日常、私の周りは、とても優しい世界だ。大切にしたいもの、人しか大切にしていないから、大切にしたいもの、したい人、そんなものだけで私の世界は構成されている。最高だね。
金曜の昼、散々迷った帰省だったけど、帰ってよかった。
心に余裕がないと見失いがちだけど、大切な日常だったんだなって思ったから。抱きしめて生きていきたい。傷心した心だからか、余計そんなことを思った。
大切なものと人だけ、大事にしてさ。それでいいんだよきっと。