【短い小説】音楽と記憶が結び合うから季節が変わらない
冷たいのに人懐っこい、猫みたいなひとだった。
「君に歌ってほしいな、これ」
そう言って、あの曲を聴かせてくれたのは9月の上旬。秋というより夏だったあの頃。
歌うの得意じゃないんだけど、という私にあなたは、君の声でこの曲が聴きたいんだ、なんて言っていた。
結局、あなたの前で歌うことはなかったな。
季節が半周して、久しぶりにプレイリストの再生を押す。
夏の歌ではないのに、夏の匂いがした。
これだから、嫌だと、初めから分かっていた。知っていた。
恋人と共有したプレイリストなんて、多いほど別れた後がつらいことなんて。
曲の共有を増やせば増やすほど、ふたりの記憶の紐づいた曲が増えてしまう。
もう、曲そのものを純粋には、聴けなくなる。
そこに好きがあってもなくても、感傷的な気持ちになってしまうから。
音楽とは、どうしてあんなに記憶と密接につながってしまうのだろう。
それが音楽のよさでもあり、悪さでもある。
音楽に詳しいあなたは、私にいろんな曲を教えてくれた。そこまで音楽に精通していない私がお返しに教えてあげられた曲は3曲くらいだったっけ。社交的でさっぱりしているわりには暗い曲ばかり好むあなたに、私はまた惹かれていたんだ。
どうせ別れてしまうのなら、あなたがとびきり気に入りそうな曲をもっと探し出して、たくさん教えておけばよかった。
聴かずにはいられない曲をたくさんあなたに教えて、そして、聴くたびに私を思い出して、少しくらい苦しくなってしまえばよかったんだ。どうせ、何もないと私のことなんて思い出しやしないから。
彼は、「仕事と私、どっちが大事?」なんて聞くと、きっと何のためらいもなく、「仕事。」と答えただろう。そんな男だった。
優秀な営業マンだった彼は、私と過ごす休日でも、必ず手元には会社用のスマホを置いていて、かかってくる電話すべてに対応していた。
「ねえ、休みの日ぐらいちゃんと休めば?」
私がそう言えば一瞬、ほんの一瞬、見下すような酷く冷たい目で私を見る。仕事のことで口をはさめばいつもそうで、自尊心を下げられるその目が怖くなって私は別れようと言ったんだ。
「ああ・・・そうする?君がそうしたいなら」
彼はいつもそうだった。私に譲歩しているように見せて、自分の都合のいい方向に物事を運ぶのがびっくりする程うまかった。
憂う目つきをして見せてきたけど、それが嘘だなんてこと、私くらいあなたのことが好きなら分かるよ。何ならラッキーくらいに思ってんでしょ?
出かかったそんな言葉を飲み込んだ。
SNSを一切触らない彼の所在は、あの日から風の噂ですら聞いていない。
ねえ、あの曲。あなたが大好きだったあの曲を歌っていたバンド。新しいアルバムを出していたね。
きっと同じように聴いているのだろう。まだ側にいたら、「この曲も歌ってよ、ねえ」なんて猫なで声で言うくせに、きっとまた、実現させようとはしないんだろう。
あなたが教えてくれた大好きな曲。鼻水をすする音で綺麗に聴こえないな。
音楽から、記憶をほどきたい。
きっと、人生最後の日を前に思うのだろう
全部、全部言い足りなくて惜しいけど
あぁ、いつか人生最後の日、
君がいないことを
もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って