映画『愛がなんだ』に愛とは恋とは、って思考を飛躍させられた【レビュー】
全部が好き。
でも
なんでだろう、
私は彼の
恋人じゃない。
このキャッチコピーを見てから、ずっと観に行きたかった映画『愛がなんだ』。
エンドロールで動けない映画だった。
ネタバレなしで感想を少し。
「愛がなんだ」あらすじ
大人になるにつれて、様々な恋愛のかたちが生まれてくる。それは始まり方も、終わり方も含めて。
山田テルコと田中守(マモちゃん)は、好きですとかそういったものもなく、なんとなく一緒にいるようになった。ふたりは恋人ではないけれど、テルコはマモちゃんのことが好き。
この世のすべてかというくらい、マモちゃんに呼ばれれば仕事だろうとなんだろうと駆けつける。
そんなふたりの物語。
それにテルコの友達の葉子、葉子のことが好きで好きでどうしようもないナカハラ、それから、マモちゃんが恋い焦がれるすみれさん。
決して派手な描写はなく、なんでもないコンビニの前だったり、一人暮らしの部屋のソファーだったりで繰り広げられる会話、展開はリアリティーを生み出す。
様々な人間関係、恋愛模様が交錯するストーリー。
恋とか愛とか
エンドロールで動けなかったと言ったけど、あれは分からなかったからだ。
この映画が、何を伝えたかったのか。
何を伝えたかったのだろうかと考えるのは無粋なのかもしれない。しかし考えずにはいられない。
結局分からなかったけど、私の中に浮かんで残された問いはいろいろあった。
片想いの完成ってどこなんだろう。
好きになってくれない人をずっと好きでいることで幸せになれるんだろうか。
愛がないところに生まれるものって何なんだろう。
問いが浮かんだところで、正解なんてないんだろう。だからこそ、映画でもそういう描写で後々考えさせられる仕様だったのかなとも思う。
テルコにとって、マモちゃんは世界のすべてだ。
そんな、これ以上の人はいない、というのは
現実なのか錯覚なのか。
不毛な議論だけど、私はこういうことを考えるのが好きだ。
愛とはなんだ
愛とは、想像力。そんな気がした。相手が今どんな気持ちでいるのか、どうすれば喜ぶのか、二周も三周も先回りするような、想像力。私は愛なんて語れないし知らないけど、テルコとマモちゃんとすみれさんを見てると、そう思った。
マモちゃんのことが好きなテルコ。
マモちゃんが、好きなすみれさん。
テルコとすみれさんに対する、マモちゃんの人格の変わり様が凄まじかった。
大切な人に対してのみ働く想像力ってやっぱりあるんだよ。きっと。言葉にされるものだけじゃない。滲み出るものもそう。
その想像力、思いやりといってもいいかもしれない。そんなものを感じられないならきっと愛されてないんだなって思ったし、彼はこういう人だから、というのもなんか違うような気がするなと思ったし、あの時は分からなかったけどあの恋愛は終わりにしてよかったんだなって思った。
そんな映画でした。ぜひ。