承認欲求の相互作用
心から本質的に嬉しいと思うこと。
時間の経過によって劣化することのない喜びって、自分に対する需要の中でしか見つけられない。
本当に承認欲求の塊だなと思う。
最近気づいたこと。
去年だったか、神戸で弾き語りをやってた時。
自分で言うのは気がひけるのだけど、私の音楽が好きだと言って毎回ライブに来てくれてた人がいた。
いつも、ライブ後に詳細に感想をくれて。
神戸離れる前にその人から、贈り物をもらった。
私は、申し訳ないなとすごく思ったんだこの時。いつももらってばかりで申し訳ないな、ありがたいなあ、って。
そしたらその人は、
「やっと返せた、いつももらってばかりだったから。ありがとう」
って言ってくれたの。
目から鱗だった。
あなたの音楽に救われてる、って言葉に私は救われてたのに。
発信する側と受け取る側、逆の立場なのに同じことを思ってたっていうことに驚いた。
音楽ってそういうことできるんや、って。
あの時の驚きは、今でも音楽を続ける原動力になってる気がする。
だから今日もせっせと表現に勤しむ。
曲を投稿する、ツイキャスをする、文章を書く。
せっせと何かしらの形にする。
30分間のツイキャス。私の表現の時間を楽しんでくれる人がいる、喜んでくれる人がいる。
ブログを読んでくれる人がいる。
曲を聴いて、救われたと言ってくれる人がいる。
こういう人たちに精神的に生かされてるなあと思う。
私の曲は私にしか書けない。
"代わりのきかない私"を唯一体現できるのが音楽や文章で。
そこに需要を見つけた時、いつでもふっと涙が出そうになる。
求められている瞬間は、生きてる感覚をすごく感じるから。承認欲求。
1人で生きていけるよ風に装ってるけど、私の幸せなんて結局人によってしか満たされない。悲しいかな。
人の生きづらさを緩和したいから音楽をやってる、とか偉そうなこと言いながら、イコールで自分の生きづらさの緩和にもなってるんだよな。
ものを生み出すこと、発信すること。
私の中からそれらがなくなる世界を想像するだけでゾッとする。