好きを仕事にすることの代償
"好きを仕事にしよう"
"これからは個の時代だ"
そんな謳い文句で溢れるビジネス書の棚。
そりゃ好きを仕事にしたい。あたりまえだ。そう思ってそんなビジネス書を、興味のない営業をやってた半年間読み漁ってた。
そこから部署移動して、文章という、自分にとって大好きなものを扱うようになった今では、この考え方って極端過ぎるなと思う。
好きが仕事になると、そうでない時とは違った苦しみがそこにはやっぱりあって。
好きだから、真正面から向き合うから、ちょっとのことでヘコむ。自分の至らなさ、技術のなさ、センスのなさ、とか。誰から怒られなくても、自分自身で気づいて勝手に落ち込む。
好きでなくてとりあえずこなしてる仕事ならこうはならない。逃げ場があるから。
とりあえずだしまあいいか、って。
給料もらえたらそれでいいやもう、って。
言えてまうから。思考を放棄できるから。
けど、好きを仕事にしてしまうとそれができなくなる。
もちろん充実はする。給料以外のモチベーションがあるというのは幸せなことだと私は思う。
しかしそんな綺麗事が通じるものでもない。実際見てみると。
結局は、どこに自分がプライオリティーを置くかなんだろう。
好きなことを仕事にして幸せになれるかどうか、それは性格によって違うんだと思う。なんとなく働いて余暇を楽しむ人と、好きなことを仕事にして公も私もない人、どちらが幸せかは一概に言えない。
その人の感じ方、価値観、人生観によるもの。
自分にとって最善の働き方が、必ずしも好きを仕事にすることじゃないなと、実感として思いましたね。
苦しみや葛藤があることで生きてる感覚になる、虚しさを感じるよりはそっちの方がいいと思う私みたいなのはこの代償も心地よいと思えるけど。冷静な時は。
葛藤の渦中にいるときはそこまで思えなくて、憂鬱になる。
好きを仕事にすることで、ともに生きていかなくちゃならない宿命みたいな憂鬱があるんだなあと、最近思いました。
趣味を仕事にして幸せになれるのか、という昔からあるテーマに対する、趣味だから楽しいんやで、みたいな見解、散々今まで目にしてきたけど。
そんなの、趣味を仕事にしたことない人の遠吠えだろうと思ってたし、好きを仕事にすることによる苦しみもそりゃあるだろうとわかってたつもりだった。
たけど、実際に経験してみると、なるほどこういうことか、と気づく。
こんながんじがらめな気持ちになるんか、って。それを苦しみながらも楽しめる性格が自分に存在することを、その状況下に置かれてやっと知る。おもしろい。
やっぱり、どんなに、いろんな角度から思考を巡らせてみても、生きてみないと、経験してみないとわからないことって溢れてるんだなと思う。