挫折と憧れ、儚さと強さ
高校から始めたバンド。
最初に組んだバンドでは、ほとんどサイドギターかリードギターだった。
大学に上がってからも、軽音サークルみたいなところでリードギターをやったり、学外でメタルバンドを組んでカミテでギターを弾いていた。
けど。
気づいたら、ギターボーカルになっていた。いつからなのか、日記にはちゃんと書かれていた。
3年前。自分の想いを伝えたいから、曲を作って歌おうと心に決めた、と。
私は作曲がとても苦手だったけど、というか本当に曲を作れなかったんだけど、もう逃げないと、そう決めた日があったらしい。
それから、サークルのコピバンでリードギターをやる機会が大幅に減ったように思う。
それをリードギターの挫折とは思ってなかったけれど、未だに女性のリードギターをライブで見ると、いつも必ず目が釘付けになる。昨日もそうだった。
シンクロニシティのワンマンライブ。
今やってるバンドのメンバーに誘われて行ったライブだったけど、めちゃくちゃに刺激を受けた。というか、そんな生ぬるいものじゃなく、生命力をもらったような気がする。もっと、サボらずに生きようという気になった。
挫折と憧れ。
儚さと強さ。
私にとっては、この2つが印象的なライブだった。
挫折と、憧れ。
リードギターは私の挫折。ワンマンライブを行うまで大きくなったバンドのボーカルという立ち位置は、私の憧れだ。
ワンマンライブを8年目に敢行してる、というそのドラマだけで私は涙腺を持っていかれているのだから、とことん音楽に後ろ髪を引かれてるなあと思うし、こんな時に私の音楽に対する未練を再認識する。というか、再認識、できる。
まだ音楽がやりたいんやな。まだ、というより、もっと音楽がやりたくて、もっと突き詰めたいんやな。いけるとこまでいきたいんやな。
嫌でもその感情が分かってしまう。そんなことまで、ライブ中に考えた。
儚さと強さは、そのまま。儚いだけの人間にはなりたくないし、強いだけの人間にはなりたくない。
それはステージでも同じだ。
シンクロニシティのライブ、ボーカルの人を見てて、儚さと強さが共存してるなあと思った。強いだけじゃ、他人の心の痛さは分からない。
儚いだけじゃ、伝わるものも伝わらない。
儚いだけでも、強いだけでも魅力って浅いと私は思う。
強くて、儚い人間になりたい。
大人になりきれないなあと思っていたけど、徐々に徐々に大人になっていたんだなと気づけたライブだった。ここでいう大人は、いい意味ではない。
知らず知らずのうちに、いろいろ諦めてたんだな。諦めて、サボって、生きてる実感もなく生きていた、そんな気がする。
自分のモチベーションを私は信じられないけど、もっとちゃんと生きてる実感を得ながら生きたい。カッコ悪くても、もっとめちゃくちゃに、自由に、強く、そして儚く。