これがロジカルシンキング的なら論理的な人間ってほんと生きづらくない?
結局言いたいことは何なの?
そこに何の意味があるの?
つまり何を求めてるの?
最近、自分に対しても自分の生み出す物に対してもまわりに対しても常にこういうことを問うてしまう。冗長な話は嫌悪感ともどかしささえ抱くこともある。
仕事が変わって半年。
仕事で書くメディアの記事は、どの記事も目的とターゲットを設定してから書いたり編集したりするようにしてる。
そうやって記事の構成や文章に意味を持たせようとやってきたせいか、思考がそういう風に傾いてきている気がする。
"これがこうだからこの言動はこういう意味"って、そういうのが見えないとちょっとイライラしてしまうような、傾き方。自分に余裕がない時は特に。
思考習慣は半年で身につくというからね。思考回路が変わって習慣化したというのもあるかもしれない。
意味のない文は綴りたくない、意図のない音は鳴らしたくない。それがまるで美学だとでも言うように、頑固に心の中心に居座る。
すごく無駄に神経質になってる自分がいるのが分かる。
やりづらい。
すべてに意味を持たせられるほどスキルは成熟してないから、理想と現実のギャップに苦しめられる。
そうしてどんどん余裕がなくなって、無駄を楽しめなくなる、のループ。
『まず伝えたいことは2つ。
1つ目はなんとかでこうこう、2つ目はなんとかでこうこう。
つまりこういうこと。』
こういう構成だと安心する。「それでさ〜」から入られたら、「で、何が言いたいの?」って
なんでそんなに生き急いでんの、ってくらいに先を急かしてまいそうになる。時がある。
時がある、だけなんで大丈夫です。放っておいてくれて大丈夫です。余裕が復活する頃には「それでさ〜」から話してるから。気にしないでください。おわり。