社会に出るのは絶望じゃなかったしなんなら純粋に生きられる
「まだ若いんだから」
社会人になって10ヶ月。あらゆる方面からよく言われる言葉。そんなことない、なんて言ってたけど、最近は肯定できるようになった。
社会人になる前、大学4年の今の時期なんて絶望だった。いや、3年の時の方が絶望だったかもしれない。
「大人になったら終わり」
ずっとそう信じて疑わなかった。
ふと思い立って、日記をめくる。
去年の今は諦念。一昨年の今は大人になることに対する抵抗だった。
一昨年、就活前の日記で書いてる人生に対する本質、大切なものは今も変わっていない。人生の芯はきっとこれからも変わらないんだろう。
変わったのは、大人ってそんな悪くないんじゃないかっていう思考。
社会人になって感じるのは、生活の基盤があるという少しの安心と、これでいいのかなという不安。
それが心地よかったり悪かったりもするけど、ほぼ確約されている安定した未来があるおかげで、したいことをするのにストレスがかからない。
学生の頃は、「学生のうちに何者かにならないと」って意識がただただ気の焦りを掻き立てて、頑張ること自体が、至らない自分がとてつもなくストレスだった。たいしてストレスに強くもないからわりにしんどくて。
けど大人になるとそれがなくなった。
新しく始まった大人という世界では、開き直るしかなかったから。
『私には何もないんだから。』
そう開き直って毎日を生きている。
けど、その代わりに生まれたのが、"ないからこそ今頑張んないと一生何者にもなれない"って感覚と自分に対する鼓舞。
おかげで、開き直ってノーストレスでしたいことをできる。まるで不純物が濾過されたみたいな感覚。これはすごく心地いい。
「何かを成すにも始めるにも、大人になってもたら終わりや」
そんなものは視野の狭い認識だったと気づけた。
もちろん、学生に比べると時間はないけど。正直お金もないし、毎朝同じ時間に出勤しなきゃならないし、自由度は低い。それが会社員。もちろん、不自由さが歯がゆい時もたくさんある。
けど、何者でもないと開き直った今の私は学生の頃よりはるかに純粋に生きられていると思う。
あの頃と違って、モラトリアムのタイムリミットに焦らずに、純粋に自分と、将来と向き合える。
不自由さを日々感じても大人に希望を見出せているのは、周りの大人たちのおかげというのも大いにあるだろう。
特に30代あたり、10個くらい上の世代のひとたち。
楽しそうに生きていたり、好きなことで生きていたり、思考や、かけてくれる言葉が深い人たちがいたりする。
すごいなあ、と年上に対して思う時、その10年10数年に想いを馳せて、
『私のまだ見てない世界。遠いな、尊いな』
と思う。その瞬間、遠すぎて途方もないことになぜか泣きそうになって、若さに少しの劣等感を覚えつつも、眩しく見える。この感覚がとても好きだ。
幸運なことに、楽しそうで羨ましくて尊敬できる30代が、私の少し遠くにも、とても近くにもいる。こんな30代になりたいなあと、憧れて生きている。そして、20代をもっと大切にしようとも思えている。
23でそんな人たちと出会えている私はとても幸せなんじゃないかと思う。し、これから社会人になるひとたちには、そう思える大人を見つけて欲しいなとも思う。
素敵な30代になれるように明日も生きよう。大人って悪くないんだなって思わせられる大人になりたいものだ。
明日は木曜日。