【短い小説】忘れていたアイスカフェラテ
4月。外気があたたかくなって、夏ぶりにドトールで頼んだアイスカフェラテの一口目を飲み込んだときに、君の顔とあの部屋が条件反射のように脳裏に浮かんだ。
久しぶりに、鼻に抜ける苦いエスプレッソの香り。
途端、脳内の意識が過去に引き戻される。
あの夏の終わり。
「今度はあの映画観ようよ」
君の家に映画館のようなスクリーンがあるのをいいことに、週末には決まって君の家に映画を観に行っていた。
映画のお供に、と君が淹れてくれたカフェラテは、家で作るそれではなくて感動したんだったな。
鼻に抜けるしっかりとしたエスプレッソの苦味と、優しいミルク。
私が柄にもなくはしゃいで、すごいとまくし立てると、君は少し控えめに照れくさそうに鼻を触った。
いつからか覚えていないほど自然に、映画半分、君の存在半分で過ごすゆったりとした休日の午後が当たり前になっていた。どこか浮世離れした君と過ごす時間は、まるで世界から、日常から切り離されているような、唯一の穏やかな時間だった。
だけれど、だからこそ、どちらともなく2人の関係性には触れなかった。
もしかすると、彼には彼女がいたかもしれない。
彼の方も、私に彼氏がいるかどうか詮索する素振りさえ見せなかった。
ひたすら週末になると君の家に映画を観に行くだけ。恋愛なんてもう忘れてしまったという顔をお互いにして、映画に飽きると順番も気にせず恋人ごっこなんてして、満たされているフリをして過ごしていた。
君がいなくなったのは、初めて君の家でカフェラテを飲んだあの季節がまた来ようとしていた頃だ。
立ち入った話をしなかった私たちは、お互いのことを何も知らない。知っているのは映画の趣味と、お互い土日休みだということくらいだった。
仕事さえ知らない。むしろ、それを楽しんでいた。
空っぽになった205号室は何も教えてくれなかった。君がいたという息遣いさえ感じられなくて、立ち尽くした。あれは恋だったんだなと、あの日までなぜ気づかなかったのだろう。
ふと我に帰る。昼休みが終わるまであと10分だ。残りのカフェラテを何とか飲み干そうとする。
君の淹れてくれたカフェラテの味。氷が溶けて結露してしまった目の前のカフェラテも、やはりまだ君の香りがした。君の味がした。
舌がこんなに優秀な記憶器官だなんて知らなかった。
味覚が鋭くない私は、君のアイスカフェラテとお店のアイスカフェラテの区別がつかない。もう、当分お店でアイスカフェラテを頼めないなと思いながら、席を立った。