「売れたい」は手段であって目的ではない、のではないか
「売れたいとかなんとか、何を目的に音楽やってるか、明確にしていたい」
ある人が放った言葉。
目的。音楽をやる目的か。
その瞬間、ふと考えさせられたその言葉は、1週間近く経った今でも少し残っている。
音楽をするにおいての手段と目的
そもそも、こんな堅苦しく論じなくても、音楽をするための手段や目的なんて、"楽しく生きたいから"、ここに集約されてもいいんだろう。
その時、「売れたい」っていうのは目的なのだろうか、と思った。きっと、手段のはずだ。
売れて、音楽一本で生きていきたい。
売れて、たくさんの人に聴いてもらいたい。
このように、何かその先に成したいことがあって、売れることはそのための手段に過ぎない。
ということは、成したいことがあってそれを成すためには、必ずしも「売れる」という手段は必要ではないということになる。
音楽で食っていきたい、と言うならば、「売れること」は必要不可欠な手段である。この時、「売れること」と「音楽で食っていくこと」はほぼイコールで繋がる。
では、「多くの人に知ってもらいたい、聴いてもらいたい」という目的はどうだろう。こちらも一見、「売れること」とイコールで繋がりそうな感じがするけども、必ずしではないだろう。「多くの人」という定義が人によってまちまちだからだ。
関東では全然だけど、関西では少し有名、くらいの物量でも自分が満足できるなら、多くの人に聴いてもらえてる!と思えるなら、「売れること」と完全にはイコールにならない。
目的と手段の区別ってつきづらい
そんな時に、自分はどうなんだろうかと考えてみた。
「生きづらさを少しでも緩和したい」
私は常々、音楽をする目的をそう形容してきたけど、曖昧だったことに気づく。
これだけではなく、私は、喜ぶ人の顔がその場で見たい。直接見たい。涙のひとつでも流されてみたい。自分の言葉で、音で、人の心が動く瞬間を見てみたい。
見えていなかったけど、この辺りを切望している自分に気づいた。何でこんなものを切望するのかはよくわからないけど。
あなただけの、ヒーローになりたい。そのあなたを見つけたい。生活に溶かしてほしい。寄り添わせてほしい。
多くなくてもいいけど、手の届く範囲。それが今の私の1番の幸せなんじゃないかなって。生きがいになるんじゃないかなって。
「売れていないバンド」ほど、個人にとって特別な存在はない。売れていてみんなが聴いている音楽では味わえないものを、リスナーは味わえる。それは人によって様々だろう。自分のために歌ってくれている感覚、自分だけのものだという感覚。
このような感覚は正しいものではないけれど、売れていないバンドやアーティストには、それができる。なぜかそう思わせることができるのだ。
だからこそ、インディーズのバンドばかり追っかける人々が存在するのだろう、きっと。
おわり
年齢を追うにつれて、自分が音楽をやる目的が変わっていることに気づいた。昔は、音楽で働きたいの一辺倒だったのに。
それとも、今になってやっと気づけただけで、潜在意識はここにずっと昔からあったのかもしれない。
今では音楽だけでなくて、仕事やブログで文章をつらつらと綴るのも楽しくて、一種の生きがいになっている。
あらゆる局面で、目的と手段、ちゃんとどちらなのか把握して生きていたい。それを取り違えて、こんなはずじゃなかったって、あんまり言いたくないなって。
では。