人生に干渉されたい
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
一生、影響されて生きていたいなと思った言葉だ。
映画『マチネの終わりに』で福山雅治演じる蒔野聡史が放ったセリフ。原作を読んだときには、惹かれこそしたがここまでは思わなかったのだが、映像になり、福山が言うことで説得力を増したのかもしれない。それか、歳を重ねた結果かもしれない。
未来が過去を変える。すごく素敵な概念だ。
未来を怖がって不安ばかり抱えて今を生きている私を幾分か支えてくれる。
何が起こっても、その先の未来がその過去を塗り替えてくれるかもしれないと思うと、だいぶ心が楽になる。
私は、文学や芸術から人生を干渉されたいと思っている節がある。ビジネス本やエッセイではなく、音楽、本、映画、アート、そんな、なにかしらの芸術から。
それって、本当に神聖で凄まじいもののように思うから。
作品で人生が揺さぶられるような影響を受けるというのは、作品にものすごいパワーがないと不可能だと思う。
「この音楽を聴いた時、私の中に閃光が走った」
「あの映画は私の人生、生き方を変えた」
そういうことを言ってのける人がいる。すごく羨ましい。
私も、中高生の多感な時期には、いろいろ影響を与えられたものがある。それはだいたいが音楽で、そんな音楽に出会わなければギターを手に取ることもなかっただろう。
いろんなものに揺さぶられ、振り回されて生きてきたけれど、それだけでなく、もっと深い部分で干渉されたいのだ。趣味趣向のみならず、人生の哲学とか、思考回路とか、そういった部分。
『マチネの終わりに』は、そんな私の望みを叶えてくれそうな作品だった。まだ、昨日観たばかりだからなんとも言えないけれど。
悲しくて切ない映画で、メンタルにもグッとくる部分があったんだけれど、どうしても浸かりたくなった。映画の中で描かれる、人生の悲しみや憂いに。
今日は、『マチネの終わりに』のサウンドトラックを流して通勤電車を過ごし、原作を読み返していた。
言葉も映像も物語も、本当に綺麗な作品だったから、きっと私の中に取り込みたいんだろう。美しくて儚くて、まるで絵画みたいな映画だった。
原作を再び読み返してその中の言葉にたくさん触れて、そして存分に干渉されたい。私の中で生を与えて血肉にしたい。
人生、こんな綺麗なもので溢れて欲しいな。