前提として、明日死ぬかもしれないし、人生は無駄に長いかもしれないし
私の日常にない偉大なものを見ると、何を前提に生きればいいか、迷子になる。思考がすごく広がって飛躍してしまう。
そんな偉大なもののひとつは、頭の良すぎる動物。水族館で人間を楽しませるイルカやアシカ、駅構内の盲導犬。
またひとつは、心を揺さぶってきて自然と涙腺が緩むようなアーティストのエネルギーの高いライブ。
"人間はいつ死ぬかわからない"、
だったら小さなこと気にせず今を生きればいい。
"人生は無駄に長い"、
それなら未来の自分に後悔させないために生きた方がいい。
どっち、どっち。
正解は結果論になってしまう。
1秒先以降の私の人生については、何も確かなものがないんだから。誰にもわからないんだから。
明日死ぬかも前提で生きるのと、人生無駄に長い前提で生きるのとは、相容れない。
明日死ぬかも、と考え生きる時に取る行動と、人生無駄に長い、と考え生きる時に取る行動は、きっと真逆だ。
私が明日死ぬなら、お昼はめちゃくちゃ高級なお寿司屋さんに行って、夜はめちゃくちゃ高級なステーキと牡蠣を絶対に食べて大切な人と過ごすし、
長い人生なんだったら、ちまちまちまちま曲とか作って歌とかギターとか練習するだろう。
今日、tricotのライブを観て思い出した。
明日死ぬかもしれない、なんて思っていた頃があったこと。そしてそれを忘れて、長い人生前提に生きていたこと。
ところどころ少し掠れぎみになる声で歌うイッキュウを見て、すごくグッときた。
調子悪いのか、喉に悪そう、だったんだけど、それでもそんなの関係ないと言わんばかりの迫力がある、力強い歌だった。
明日死ぬかも前提、人生は無駄に長い前提。相容れない2つだけど、両方を考慮して生きていたい。どっちかに疲れたらどっちかに逃げて。幸せならきっとそれでいいしどっちだっていい。