風に溶けて消える

そんな穏やかな気持ちで生きたいほんとは。限界OLバンドマン

【読んだ】『もうちょっと「楽」に生きてみないか』にはライフハックが詰まっています

「苦しい努力は大事だ」そういわれても、何の違和感もない人がほとんどではないかと思う。私もつい先日まではそうだった。

しかし身をもって知ってしまった。こんなんじゃまだまだだと自分を追い込んで、苦しみながらする努力はメンタルに支障を来す。そして免疫力や生命力を下げる。最終的には体にも支障を来たす。

 

だからもう楽になりたくなったのだ。生命力の塊、免疫力の鬼になりたくなった。

カラッと毎日を生きたいと、そう思ってすがるように書店の「心理学」のコーナーに足を運んだ。そこで見つけたのが、和田秀樹著『もうちょっと「楽」に生きてみないか』。

 

本書における「楽に生きる」とは、手を抜くとか妥協するとかそういった話ではない。夢やしたいことを叶えるためにも、楽に生きるにはどうすればいいかを考えることが大切だという。

 

性格を変えるのはなかなか難しくても、考え方を少しくらい変えることはできないでもないだろう。考え方が変われば、きっと時間がかかっても性格は少しずつ変わってくる。

この本は、そんなものを示唆してくれたので、いくつかピックアップしてみた。

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「楽する」ということは考えること、我慢の方がよっぽど怠惰

頑張るだけ、つらくても耐えるだけなら頭を使うことはありません。楽な方法を考えるというのは、頭を使って目標達成を目指すということで、本来ならそれがいちばん人間らしいやり方のはずなのです。

と、著者は一貫して ‟ つらいのを我慢して努力を続けるのは脳筋だ。”と主張する。 

 

まるで不意を突かれたような気持ちになった。私はいろいろ考えながらこれまで生きてきたから、自分のことを脳筋だと思ったことがなかったが、強烈に心当たりがあった。私は頭が固いのだ。

 

それがひそかにずっとコンプレックスなのだが、脳の性質なんだと思っていた。

しかし、我慢して耐えてストイックに努力するのをよしとする私の考え方が頭の固さを作り上げていたのかもしれない。脳が筋肉でカチカチなのかもしれない。じわる。

 

さらに著者は、「苦」は「苦」を呼ぶと主張する。

確かにそうなのかもしれない。人間は過去の功績に固執してしまう生き物だ。苦しんで努力したものが上手くいけば、そのやり方でその後もやり続けるからまた苦しみを重ねてしまう。結果、どこかでつぶれる可能性もある。

 

反対に、「楽」な方法を探して目標達成をした過去があれば、「あの時できたから今回も」とまた頭を使って「楽」を探すようになるという。習性みたいなものだろう。

 

著者は、「苦しい努力には何の価値もありません」とまで言う。苦しい努力が未来の自分を支えてくれることだってあるから、さすがにそこまでは思わないが、とりあえず私の頭は脳筋だったようなのでもう少し「楽」に努力する方法を頭で考えるようにしようと思う。

 

つらい努力は正しいとは言いがたいかもしれない

たとえば、新年に立てた目標に対する努力が1か月も続かなかったとき、筋トレをすると言ったのに3日も続かなかったとき、人は何を思うだろう。

 

真面目な人は、意思が弱いと自分に少なからず失望したり、どうせ自分は継続ができないんだと自分自身を諦めたりする。

 

しかし、それは継続の仕方が悪いのであって、楽しければなんだって続く。設定している量が悪いのだ、と著者は言う。

 

私がちょこちょこ更新するこのブログも、書きたいからこのように文字を重ね、これで92記事目。書きたいことを書きたいように書いているので、苦しくはない。楽しい努力である。

 

つらいと感じたら量を減らす、それが楽に続けるコツだと言う。著者の言うことを真に受けるとするならば、私はダイエットをして理想の体型になりたいと常々思っているのに筋トレだけはどうしても続かないのは、それが苦しい努力になってしまっているからだ。明日からスクワット1日3回から始めようと思う。

 

また、期限を付けないことも重要だという。3年後までには…5年後までには…、と、私もよく考えてしまうけど、疲れるだけというのがわかったし、何よりも今をうまく生きることができなくなる。体調を崩して1か月思うように目標に対するアクションができなかっただけで焦ってしんどくなる。死ぬまでに、くらいで考えておいた方が今目の前にある今を楽しめるというものだろう。

 

挽回という考え方の危険性

前述の話の続きになるが、「挽回」という概念も危険だという。これも真面目過ぎる人、完璧主義な人には特に当てはまるのではないだろうか。

 

遅れることも前進には違いありません。ここがつい錯覚するところで、計画や予定に対して遅れているというだけのことで、ゴールから遠ざかっているわけではないのです。

 

ここが私にとって2個目の目から鱗箇所だった。つい先日のことだが、風邪やら扁桃炎やらで体調を崩し、思っていたように目標に対する努力ができなかった。後退している気持ちになったが、現実には諦めていないのだから確かに後退ではない。この概念、忘れないでいるだけでライフハックになりそうな気がする。

 

いつだって頑張っているのだから

「欲を言えばきりがないけど、私なりに頑張ったんだからほめてあげなくちゃ」こういう考え方ができると、とても楽になります。

 

「~しなきゃ」「~すべき」思考の強い人はこれを胸に刻むのはいかがかなと思う。生きていれば失敗もするし、私も自分に優しくするのは得意じゃないのだが、「ほめてあげなくちゃ」って義務づけて強制的に自分をいたわるのはアリかなと思う。自分をほめてあげなくちゃ、っておもしろいね。

 

 おわり

人の頭は変化を嫌う。だから、まったく自分にない考え方を取り入れるのはストレスがかかる。

「よし、楽に生きよう!」と思うことでさえ、このブログを書いている今の私にとってはもうすでにストレスである。

「楽に生きる」ということを頑張ろうとしているのだからそりゃそうである。だけどもう本当に疲れたので何度かこの本を読み返して頭にこの考え方をしみこませてあげようと思う。

どうせ生きて死ぬんなら、楽しいの総量が多い方がいい。

カラッと生きられる日が来るといいな。

 

本当におすすめです。