ズボラで面倒くさがりな私「片付いてピカピカになった空間はすごい 」
私はO型だ。おおざっぱでガサツ。性格を血液型で語るのはナンセンスだが、いわゆる典型的なO型だ。
服はまずクローゼットに収まらないし、テーブルの上も気づけば物が増えている。
部屋を綺麗だねと褒められた試しがない。人を家に呼んだときにもらう褒め言葉は「生活感があっていいね」の一種類。これはきっと絞り出された褒め言葉である。
性格上、綺麗にしたって1週間もあれば元通りになるからと、生活できるレベルの部屋を保って6年ほど一人暮らしをしていた。社会人になってからそのスタンスは加速し、毎日毎日10時19時フルで働いて家事まで回すなんて現実的に無理、と真顔で考えていた。
というか実際、そこまで片付いていなくても、居心地がよかったのだ。
私の部屋は、気密性が高く、冬でもわりとあたたかくて、そこそこイイ加湿器もある。あとあったかい部屋着も。不満という不満は、布団が薄くて少し寒いくらいで、それ以外は私にとってなんの不自由もなく、多少散らかってはいるけれど、自分の家はとても好きだった。
そんな中、年末年始に実家に帰省した私は、実家の整然とした様子に感服した。
ああ、なんてこの家は過ごしやすいんだ。ただここに存在しているだけでなんて気持ちが良いのだ。
自分の家では感じない感覚だった。
実家はいつも綺麗に掃除されていたし、いつもの光景ではあった。それなのに違和感を感じたのは、今まで気づかなかったことにその時初めて気づいたからだ。
『母もわりと私と同じように働いてるよな・・?なのにこの家の整い方・・・?』ということに。
「普通に働いてよくこんなに家事回るね……」
と、私がぽろっとこぼすと母、
「散らかっとったら落ち着かんのよ」
と一蹴。
ああ、DNA。仕事をしてくれ。
そんなことを思いながら東京の家に戻った。
東京の自宅で見た光景
するとどうだろうか、今まで過ごしていた家に戻ってきただけなのに、すごくイライラする。
綺麗で整った実家に5日間も居てしまったからだ。
段ボールでわりと足の踏み場がない玄関、空きボトルに占拠されるシンクのフチ………
私は形から入る人間なので、毎年年始の気合いと言ったらすごいのだ。年が変わり、意気揚々と、2020年はいろいろ頑張るぞ!なんてメラメラしていた志が、汚部屋によって一気に枯れていきそうな感覚に襲われて決意した。
よし、部屋を片付けよう。
新年初のハマりごとに
その決意から今日で10日。見事に掃除にハマってしまった。
なにがって、 片付いた空間はすごい。片付いた空間は、パワーを持っている。というか、片付いていない空間の負のパワーはあまりにも強烈と言った方がいいのかもしれない。
その負のパワーはあらゆるやる気を削いでいたし、強く生きようと思う生命力まで低下させていた。これは、綺麗に掃除してみて気づけたことだ。
段ボールのなくなってスムーズに外に出られるようになった玄関。ピカピカの洗面台、シンク。ひっそりと自尊心が高まるのをここ最近感じている。
料理なんて本当にしたくなかったのに、シンクを片付けてピカピカにしてからは以前より料理をする気がわくようになったし、ピカピカのシンクを想像すると晩ごはんが楽しみになった。
▲造花は以前からのもの。一瞬インテリアにハマった大学の頃に買ったやつ。
なんというか、いわゆる "丁寧な暮らし" に近づいた感じ。丁寧でもなんでもないのかもしれないけれど、以前よりは丁寧に生活ができている気がする。
24年間綺麗な部屋を作れたことがなかった私がどういう過程で掃除にハマり、どうやって綺麗な空間を作れたのかも書きたかったけど、長くなったので本日は一旦終わりにします。近いうちに書きます。
このハマりごと、速攻飽きたらわろてください。では。