映画よりも映画なことがあるからおもしろい
人生は本当に、映画のようにはいかないなあと思う。そんな場面ばかりだ。
むしろそれこそが映画のようだなあとか思う出来事が稀にある。
もし映画化したって、誰もハッピーになれないような、切なさのしこりを残してしまうような。
だけど、決められたラストシーンから逆算して綺麗に作られた作品より、よっぽど味がある。
そんな映画が人生にはあるなあって。
そんなとき私はよく自分を俯瞰する。
映画ならここでこういう展開だな。
こういう切り取られ方で、観客を泣かせるんだろう。
まるで自分が主人公になったように後ろから眺める。
歌詞を書くからなのか、こういう癖が知らない間についていた。
自分の中に物語ができている間。このゾーンに入っている間は、あらゆるインプットができなくなる。小説なんてもってのほかで、頭の中に他の物語を入れるのを、頭が酷く拒む。そうして自分の物語に人知れずひたひたに浸って好きなだけ沈む。
そんな中で、何も取り込まずに自分の中の世界に宝物のような言葉を探しては、歌詞というストーリーを紡ぐ。
歌詞なんて、限りなくノンフィクションで限りなくフィクションだ。
映画ならこんな日は会社には行かないよなあ。
きっと、もう昼だといった方が正しいくらいの朝に、ベッドからぼんやり半身を起こすんだろうな。こんな日は。
なんてとりとめもなく思っている間に、流れる平日という5日間のベルトコンベアに乗せられたまま、いつもの顔で駅に着く。
自分だけが観れる、切なさのしこりを残される映画に殺されかけた後は、何だかんだ、結局現実に救われる。