憧れの人と好きなものに対する適度な距離感
私にとって、ギターと向き合うことは孤独だ。
中高生の頃はギターを弾くのが純粋に好きだったのに、メインでギターを弾くのをやめてからは、好きという感情を忘れてしまったように思う。
だけど、「私もこんな風にギター弾けるようになりたいなあ」を、憧れに近いカタチで最近感じた。
それからというもの、ギターを弾くのがなんだかあたたかく、楽しい。
憧れる人がいるというのは、幸せなことだなと思う。
それも、目の前で弾いているのを見られるくらいの距離感で。近くにいればいるほど生きやすい。
なんでなんだろう。何の作用なんだろう。
わからないけれど、憧れる人が近くにいると安心する。ギターと向き合う際の孤独感が薄くなる。
ギターを練習するのって、先がどこに続くかわからない道をひとりで歩くみたいな孤独感がある。
だれだって、暗闇はひとりで歩くよりも、その目線の先に背中が、指標がある方が、ホッと力が抜けて安心するというものだろう。私にとってのギターは、なぜかそんな性質がある。
その背中が遠すぎたら見えなくて、どうしても幻想としか思えない。だから、近くて見える人でないとだめらしい。
結局練習するのはひとりなことに変わりはないんだけれど、暗闇に吸い込まれそうなその先に指標となる人がいれば、ひとりじゃない感覚になるのだ。
だけどこれは、ギターの場合は、という話で。
自分にとって一番大きなもの、歌や作曲というフィールドでは、そんなものは感じない。
いい歌を歌う人、いい曲を作る人の存在が近くにあればあるほど、苦しさ、焦燥感、劣等感、嫉妬、そんなものたちに潰されそうになる。
直視できないし、自分を許せもしない。なんで私はこんなことしかできないの、と。
それに抗いながら努力を重ねることで、音楽を鳴らす人間として強くなってくんだってのは、わかってるんだけど。
そんなのができるほど、人生も性格もイージーではない。
だから歌なんかは、憧れの人が近すぎず遠すぎず、少し遠いくらいが丁度いい。
適度な刺激が一番とは言ったが、たまには苦しいストレスになるくらいの刺激も欲しい。
憧れというプラスの感情も、嫉妬や劣等感というマイナスの感情も、そこに "誰か" という他人がいないと生じ得ないものだ。
その誰かは、すぐ隣の人かもしれないし、テレビの向こうの人かもしれないけれど。
何かしらの技術を磨こうと思えば、ひとりでは歩けないらしい。
全部に乗せられて時には心を沈められても、プラスとマイナスの感情、どちらも欲しいなと思う。
今夜もギターを触るのが楽しみでとても幸せだ。