残るものが残酷なのか残らないものが残酷なのか
『残るものは残酷だ』
取り憑かれたように日々、残るものを…と、曲や文章を書いている私は、その考えを記事で見た時驚いた。
そんな考え方があるんや、と思って。
残らないものは残酷だと、私はその価値観しかなかったから。
今でもやはりそう思ってる。
残らないものは残酷。
楽しい時間も、幸せも、残らない。必ずしもそうとは言えないけど。過ぎ去った後、すごく、やりきれないくらい虚しくなる。
それが怖くて、刹那的な幸せや喜びに焦点を当てることが減った。
その反面、曲や文章は、生きた証だから。
ほんとにメンタル沈んだ時とかに救ってくれるのは、そうやって自分が残したものだったりする。
残したものにはすべて思い入れがあって、それに触れるだけですべて思い出せる。
生きるのに疲れた時には、苦しみながら書いた曲や文章であればあるほど、見返して心が落ち着く。ちゃんと生きてきたんやな、生きてたんやな、って。
そうしてやっと精神を立て直して日常に戻る。
何もブログにしなくても、日記でも精神的にいい効果があると思う。
とてもつらい日、とても嬉しかった日、そういうのは忘れないうちに綴る。
後で見返した時、つらい日を乗り越えられたっていう自信が出てきて、自尊心が少し回復する。
もらった嬉しい言葉も書いておけば、記憶の中にしかないあの日の喜びだって、ちゃんと残り続けてくれる。
それが今日の自分を生かしてくれる。
やっぱり、残るものは残酷だとは思えない。