東京へ出て一年。サヨナラなんて、と強がったけど
気候がすっかり春で思い出す。
一年前。
とても濃い大学生の4年間を過ごして、淡白な私がいつになく寂しくなって作った曲、
『サヨナラなんて』。
忘れたって構わないよね
此処にあるから
きっともう私だから
生きていくうちに、記憶は薄れていく。
大切な場所を離れたとしても、そこで生きていた時間、生きていて身についたあれこれは、もう自分のものに、自分そのものになってる。
そう思うと少し寂しさも紛れるかな、って。
そんな歌詞を書いて歌っておきながら、本当はとても寂しかったのを思い出す。
かけがえのない居場所になったバイト先、音楽をするホームのような場所。こんなに大切なものをいくつも捨ててまで東京に行く意味あるんかな、と、頭をよぎったこともある。
東京へ出てきて一年。
いろんな人と話す中で出る、すぐ敬語をなくしてしまう癖は、神戸のあの場所でより生きやすくするために身につけた技だ。その癖が出るたび、苦笑しながら温かい気持ちになる。
ほんまにちゃんと残ってくれてる。何気なく生活していても、あの頃の習性、努力、得たものが。
そして少し嬉しくなる。すぐ敬語なくしてまう弊害は今のところない。ヨカッタ。
なんだか少し無機質で
窮屈な東京で息をする
記憶の片隅 染み付いた
あの日々の香りがした
東京の満員電車は怖かったし、関東人に適応できるかなとかいろいろ思ってた。
実際は、東京に出てきて、こちらではこちらで、いろんな素敵な人たちと出会っている最中だ。かけがえのない出会いだってすでにある。
神戸がとても恋しくなることも、そりゃたまにはあるけれど。
人のごった返す渋谷のスクランブル交差点を泣きながら歩いたとしても、誰も気に留めずに過ぎ去ってくれる。
東京はそんな無機質さが逆に優しくて温かい。
案外東京も悪くないなと思うし私は好きだ。