平和主義という盾で自分のことを守っているけど自分に首を絞められてもいるなって
平和主義、とは便利な言葉だ。これは、穏やかな性格とイコールだと思ってたけどそうじゃないなというのを、つい先日まで気づかなかった。無駄に事を荒だてないことが大人だと思っていた場面さえある。
平和主義を都合よく盾にして、自分以外の人や物と、向き合うのを避けてきたんじゃないかなあと、なんで気づかなかったんだろう。
"なんで今まで気づかなかったんだろう"
最近この言葉をこのブログでよく使ってる気がする。
24年生きてきて、やっと見えてくるものばかりだな世の中。
これまでの人生私は、記憶にある限りほとんど喧嘩をしたことがない。
親とか兄弟はまあ身内なので省いてみると、物心ついてから他人と喧嘩らしい喧嘩をしたことなんて、数えられるくらいしかないどころか、1〜2回レベルなんじゃないか。
自分以外の他人と、本気で向き合ったことがないのかもしれない。まあいいかと、すぐに逃げる。もうそんな、生産性のない平和主義はやめたい。
そりゃ人間なので性格を変えるのは難しいけど。
このままじゃ、誰とも向き合えることなく死んでいくのかと思うと、どうにもやるせないから。
どうせまだ心は思春期なので、周りの大切な人とくらいは、向き合えるようになりたいね。
向き合えないというのは、面倒くさいだけではなく、恐怖もあるからなんだろう。というか、向き合えないことの本質は私の場合こっちなんじゃないかと思う。
踏み込みすぎなければ、誰とだって友好的にいられるから。
どうか、どうか離れないでいてよって、嫌わないでよって
そんなのばかりで生きてきてしまったように思う。
周りの目はあまり気にしない方だと思っていたけれど、深層心理ではそんなことないのかもしれない。とてもダサくてわろてまうな。