風に溶けて消える

そんな穏やかな気持ちで生きたいほんとは。限界OLバンドマン

自己肯定感と虚無感の狭間で

 

部屋の乱れは心の乱れとはよく言うが、食生活の乱れも心の乱れに繋がるのではないかと思う。

 

毎日カップラーメン、コンビニ弁当。そんなもので済ましていると、自分を大切にしていない感覚になる。自尊心の低下にも繋がりかねないし、実際、こんな雑な生活に嫌気がさしていた。

面倒くさいがために全部出来合いで済ませていたけど、栄養バランスに偏りも出るし、無駄なお金の使い方をしてるなあとも思っていた。

 

そんな生活もう嫌だなあと思って、食という生活の基盤を整えようと、料理を極力やることにしてみた。これは、お昼のお弁当を持参するという行為も込み。

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▲春キャベツのクリームうどん。おいしかった

 

料理とは、自己肯定感の上がる行為だ。野菜や肉を買ってきて、調理する間にいい匂いが立ち上る。油の音が跳ねて耳に飛び込んでくる。なんだか幸せな気分になるし、料理自体そもそも健康にいいんじゃないかとか思う。

 

栄養も取れて、節約にもなるし、自分が作る料理は、外で食べるものとは違ったおいしさもある。

 

働きながらちゃんと料理もしてえらいなあ、節約にも健康にもいいし、えらいなあ、と、自己肯定感は上がる。

 

だけれど、食べて落ち着いた後、知らずにずいぶん時間が経った時計を見て、正体のわからない虚無感に襲われた。

 

「あれ、何がしたいんだっけ。」

 

料理をして、おいしいものを食べて、自己肯定感なら上げたはずなのに。なぜか残るのは、時間を取られたという嫌な感覚。

積み重なった洗い物を見てため息をつく。

自己肯定感の上がる行為を終えた後にも虚無感が残るなんて聞いてない。聞いてないぞ。

 

雑に生きたって丁寧に生きたってこうだ。もうどうしろっていうんだ。

 

自己肯定感にもきっと、ランクがあるのだろう。料理によって上がる自己肯定感より、曲を作って上がる自己肯定感の方が強靭で、なおかつそれを私自身が猛烈に欲してるから。

だからきっと、本質を満たさないと一生虚無感なんて消えないんだろう。

もうわかったよ、わかったから。楽にさせてくれ。

 

最近ますます自分のことがわからない。