風に溶けて消える

そんな穏やかな気持ちで生きたいほんとは。限界OLバンドマン

慢性扁桃炎と習慣性扁桃炎。扁桃炎の悪化予防のためにしていること

 

扁桃炎が繰り返す。これまで年に2回ペースだった扁桃炎が、今年は6回。その6回目が今。扁桃炎を患いながら綴っています。

 

扁桃炎は抵抗力が落ちたときになりやすい。それゆえ睡眠時間や睡眠の質にめちゃくちゃ神経質になったり、少し喉に違和感を覚えたら「また扁桃炎かな……」とビクビクしたりで、慢性扁桃炎になってから著しくQOLが落ちた。

 

しかし、今年の6回の扁桃炎では、寝込んで会社を休むことがなかった。これはひょっとすると体質なのかもしれないが、それより大きな要因は早期発見・早期投薬の結果だろうと思う。

 

人体にはそれぞれ個体差があり、これは私のケース、つまりサンプル1で申し訳ないのですが、慢性扁桃炎との付き合い方、市販のおすすめ薬などを紹介しました。慢性扁桃炎に苦しむ方の参考になれば幸いです。

 

慢性扁桃炎とは

急性扁桃炎がくり返し起こったり、急性扁桃炎の治療が不十分だった場合に、慢性扁桃炎になっていきます。このうち、1年に4~5回も急性扁桃炎をくりかえすものをや習慣性扁桃炎とよびます。

 

扁桃やのどの症状は急性扁桃炎よりも軽く、扁桃は肥大していない場合もあります。

https://www.ryukakusan.co.jp/nodolabo/disease/detail/disease1_4 より

 

扁桃炎は一般的に、高熱が出て、つばを飲み込むのも痛いと言われる病気だ。

しかし、慢性化してくると初期でそこまでの痛みを感じない。私なんかは、初期の痛みがどんどん少なくなっている。今回で言えば、痛みというよりは、ほぼほぼ違和感レベルだ。耳鼻科に行って「扁桃炎ですね、はい抗生剤。」と言われたけれど、そんなに痛みもなくご飯も食べられるし熱も出ない。逆に怖い。

 

扁桃炎を悪化させないために大事なこと

一言でいえば、自分の体調をしっかり見つめること。扁桃腺は、腫らせば腫らすほど抗生剤を飲んでも治りが遅くなるし、腫れが引くのに時間もかかる。早期発見と早期投薬が何よりも大事。

 

自分の平常時の扁桃腺を知っておく

鏡を覗き込んで、スマホのライトで喉の奥を当てると、扁桃腺は自分でも目視できる。慢性化すると痛みが少なくなるので、違和感に気づいたとき自分で扁桃腺を見て、あ、いつもより腫れてるな、とか、白い膿栓に気づけばすぐに病院。最近の私の手段はもっぱらこれである。

 

病院に行けない間はとりあえず市販薬でしのぐ

さまざまな都合でなかなか病院に行けない時もあるだろう。そんなときは私はとりあえず市販薬とうがい薬でしのぐ。うがい薬は耳鼻科でもらえるアズノールの紫のものを使っています。うがい薬を処方してもらえないところであれば、「扁桃炎よくなるんでうがいしたいんです」と言えばもらえるんじゃないかと思います。

 

なかなか病院に行けない時におすすめの市販薬

病院の薬がいちばん効くし、何度扁桃炎になっても本当に扁桃炎なのかという判断は医者にしか下せない。だから市販の薬なんか飲まずにさっさと病院に行ってほしいが、扁桃炎に効くと言われている薬を紹介します。

 

1.ペラックT錠

【第3類医薬品】ペラックT錠 36錠

【第3類医薬品】ペラックT錠 36錠

 

「トラネキサム酸」という、扁桃腺の腫れを鎮める成分が入っている。これは、扁桃炎になった時に病院でもらう「トラネキサム酸」と同じ成分だ。

だから効くと言われている。私は都合がつかず病院に行けない間はこれでしのいでいる。これだけ飲んで治った試しはないが、悪化を防ぐことに成功したことはある。

 

 

2.桔梗湯

こちらは漢方薬。喉の腫れに効く、扁桃炎に効くと言われているもの。痛みはなく、ちょっと腫れてるかな、くらいの時に飲んで治ったことはある。

 

日常で気をつけていること

7時間以上の睡眠、野菜を中心に栄養をしっかり摂る、帰宅したら緑茶でうがい、保湿のためにマスク、家の湿度は加湿器で調整、こまめに水を飲む。

これだけしてても扁桃炎にかかるときはかかるので最近は諦めて、早期発見に徹底している。

そのうち手術も考えたいところである。

 

おわりに

扁桃腺というのは、口蓋扁桃腺だけでなく、鼻の方のアデノイド扁桃腺、舌の奥の舌扁桃腺など、目に見えないところにも存在する。

そのような部分に炎症が起きていると嚥下時に扁桃炎の時のような痛みや違和感もおこる、と、耳鼻科の先生がおっしゃっていた。

 

なので完全に自分の目視だけに頼るのは危険。いちばん頼りになるのは自分の感覚。いつもと違うという「違和感」。なんか扁桃腺に違和感あるな、がサインです。

 

扁桃炎、悪化させないように過ごしましょう。

では。

 

人生に干渉されたい

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

 

一生、影響されて生きていたいなと思った言葉だ。

 

映画『マチネの終わりに』で福山雅治演じる蒔野聡史が放ったセリフ。原作を読んだときには、惹かれこそしたがここまでは思わなかったのだが、映像になり、福山が言うことで説得力を増したのかもしれない。それか、歳を重ねた結果かもしれない。

 

未来が過去を変える。すごく素敵な概念だ。

 

未来を怖がって不安ばかり抱えて今を生きている私を幾分か支えてくれる。

何が起こっても、その先の未来がその過去を塗り替えてくれるかもしれないと思うと、だいぶ心が楽になる。

 

私は、文学や芸術から人生を干渉されたいと思っている節がある。ビジネス本やエッセイではなく、音楽、本、映画、アート、そんな、なにかしらの芸術から。

それって、本当に神聖で凄まじいもののように思うから。

 

作品で人生が揺さぶられるような影響を受けるというのは、作品にものすごいパワーがないと不可能だと思う。

 

「この音楽を聴いた時、私の中に閃光が走った」

「あの映画は私の人生、生き方を変えた」

 

そういうことを言ってのける人がいる。すごく羨ましい。

 

私も、中高生の多感な時期には、いろいろ影響を与えられたものがある。それはだいたいが音楽で、そんな音楽に出会わなければギターを手に取ることもなかっただろう。

 

いろんなものに揺さぶられ、振り回されて生きてきたけれど、それだけでなく、もっと深い部分で干渉されたいのだ。趣味趣向のみならず、人生の哲学とか、思考回路とか、そういった部分。

 

『マチネの終わりに』は、そんな私の望みを叶えてくれそうな作品だった。まだ、昨日観たばかりだからなんとも言えないけれど。

 

悲しくて切ない映画で、メンタルにもグッとくる部分があったんだけれど、どうしても浸かりたくなった。映画の中で描かれる、人生の悲しみや憂いに。

 

今日は、『マチネの終わりに』のサウンドトラックを流して通勤電車を過ごし、原作を読み返していた。

 

言葉も映像も物語も、本当に綺麗な作品だったから、きっと私の中に取り込みたいんだろう。美しくて儚くて、まるで絵画みたいな映画だった。

 

原作を再び読み返してその中の言葉にたくさん触れて、そして存分に干渉されたい。私の中で生を与えて血肉にしたい。

 

人生、こんな綺麗なもので溢れて欲しいな。

伝える文章がすきだ

 

文章の仕事をしている。もう1年、文章の仕事をしている。

 

会社では、いろんな文章を書く。いろんな文書を編集する。

 

検索上位を狙う記事、情報を求める人に簡単にわかりやすく伝える記事、自社の商品・サービスの魅力を伝える記事。

 

その中で私にとって一番おもしろいのは、人の口から出てきた言葉を文章にする作業だ。

 

口から出た言葉は、そのまま起こすと綺麗な文章にならないことが多い。話すのが上手い人のは綺麗な文章になるかもしれないけれど、大抵の場合、途中で途切れたり構文がおかしくなったりするだろう。

 

口ベタな人だっているし、この際には、文章に書き起こす聞き手の傾聴力が問われる。

いかに相手の話す言葉の熱量を受けとって、いかに的確に、相手の言っていることの真意を汲み取るか。そして、いかに綺麗に言葉を調整するか。

 

取材記事は、取材を通して相手のことを好きになったり、共感や感動ができれば最高で、そんな取材の後は躍起になって記事作成に取り掛かることができる。

 

ーーあの人の魅力、この店の魅力はどうしたらもっと伝わるだろう。どういう記事構成で、どう持っていけば。

 

その最善を尽くそうと試行錯誤するのは、うまくいかない時はしんどいし苦しいけど、楽しいしワクワクする。

 

そういう、なにかの魅力を伝える文章を書くのが好きだ。

わりに合わないくらい心身ともにエネルギーは食うけど、それでもやっぱり好きだ。

もっといろんな人に会って、文章にしたい。

 

でも、私にはできないことがたくさんある。

仕事で電話をかけるときにはいつだってめちゃくちゃ緊張するし、用件をメモに準備してからじゃないとかけられない。

そしてこんだけ語っておいて、私は取材がわりに億劫で苦手だ。初対面の他人とうまく話せる自信がないからだ。

 

だから取材記事で楽しいのは、聞いた内容を記事に起こすところから。

取材だって楽しいはずなのに、最中は緊張でガチガチで、終わってから「ああ楽しかった!」とか言うタイプだ。

ジェットコースター苦手な人が、乗り終わった後に「なんや全然いけたやん!よゆう!!」とか言って口数が増えるアレと完全に一致。

 

取材楽しみ!楽しい!記事に起こすの楽しい!までいきたいものだ。

 

あと半年で25歳。少し焦り始める。

こんな私で大丈夫なのか、こんな社会人2年目で大丈夫なのか。できないこと、多すぎやしないか。

そしてこれからライターとしてどうなっていけるのか。

日々、悩む。何があってもなくても悩みは尽きない。

 

昇華としての曲作り

 

騙し騙し、自分を励ましながら、自分で自分を奮い立たせながら毎日を生きる。

なんとか立て直せる日があれば、直せない日もあって。

思えば今までそんな日々ばかりだった。

 

昔から、「昇華」という言葉が好きだ。

精神分析学用語。性的衝動ないしそのエネルギーを,性的でない,社会的に受入れられるような,なんらかの他の活動の形で表現するようにさせる無意識的過程。芸術,宗教などの文化現象もこの働きによるとする。さらに一般的には,低次の要求の満足を,より高次な要求の満足により置き換えることをさす。

コトバンクより

 

いつだったか何の授業だったか、この概念を学校で習った。欲求不満の解消法の話だったと思う。

欲求不満の時は、物や人に当たる、赤ちゃん返りをする、などの列挙の中にこの言葉があって。

「あ、イライラしてギターを弾くのは昇華なのか」とその時に知った。

それが自然とできている、その手段を持っている自分が誇らしくなったのを、うっすらと覚えている。

 

今じゃ不安などの負の感情を、曲を作るという行為で昇華するのが私の定番で、というか私の規定とまで言えるかもしれない。

負の感情を感じた時には条件反射で、曲にしたい、しなきゃ、と変な使命感を感じる。

 

だけれど、曲としてなかなか浮かばない場合もある。そんなときは、頭の中で言語化され得ない負の感情があっちこっち浮遊して、いつもは何も思わないことでもネガティブに感じてしまう。そうして行き場のなくなった不安や悲しみを癒そうと音楽を聴くと、涙しか出ていかない。わだかまりは心のうちに残ったまんま。

音楽を聴いたって、結局ネガティブな感情は整理されない。応急処置のようなものだ。

 

だから文字にしてしまう。負の感情はぼんやり抱えるより、何かしら形にしてあげる方が楽だから。

文章を綴ると、やっと涙が止まる。

その後は目が乾いて泣いたことに後悔して、なんだかんだで日々過ごすうちにそんな負の感情も忘れていく。

 

書いておくと思い出せるから綴るだけ。未来の私を支えてくれるから綴るだけ。

結局は別に伝えたいことなんてないんだろう

前提として、明日死ぬかもしれないし、人生は無駄に長いかもしれないし

 

私の日常にない偉大なものを見ると、何を前提に生きればいいか、迷子になる。思考がすごく広がって飛躍してしまう。

 

そんな偉大なもののひとつは、頭の良すぎる動物。水族館で人間を楽しませるイルカやアシカ、駅構内の盲導犬

またひとつは、心を揺さぶってきて自然と涙腺が緩むようなアーティストのエネルギーの高いライブ。

 

"人間はいつ死ぬかわからない"、

だったら小さなこと気にせず今を生きればいい。

 

"人生は無駄に長い"、

それなら未来の自分に後悔させないために生きた方がいい。

 

どっち、どっち。

 

正解は結果論になってしまう。

1秒先以降の私の人生については、何も確かなものがないんだから。誰にもわからないんだから。

 

明日死ぬかも前提で生きるのと、人生無駄に長い前提で生きるのとは、相容れない。

明日死ぬかも、と考え生きる時に取る行動と、人生無駄に長い、と考え生きる時に取る行動は、きっと真逆だ。

 

私が明日死ぬなら、お昼はめちゃくちゃ高級なお寿司屋さんに行って、夜はめちゃくちゃ高級なステーキと牡蠣を絶対に食べて大切な人と過ごすし、

長い人生なんだったら、ちまちまちまちま曲とか作って歌とかギターとか練習するだろう。

 

今日、tricotのライブを観て思い出した。

明日死ぬかもしれない、なんて思っていた頃があったこと。そしてそれを忘れて、長い人生前提に生きていたこと。

 

ところどころ少し掠れぎみになる声で歌うイッキュウを見て、すごくグッときた。

調子悪いのか、喉に悪そう、だったんだけど、それでもそんなの関係ないと言わんばかりの迫力がある、力強い歌だった。

 

明日死ぬかも前提、人生は無駄に長い前提。相容れない2つだけど、両方を考慮して生きていたい。どっちかに疲れたらどっちかに逃げて。幸せならきっとそれでいいしどっちだっていい。

田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』とpatoさんとの対談に見た「ライター」という仕事

f:id:x5296x0715:20190831022251j:image

『ライターになりたい』

そんな人は大勢いる。私だってそのうちの一人だ。仕事で文章を書いているからライターではあるんだけれど、会社の看板を担がずとも個人のスキルで通用するライターになりたい。そんな夢があったりする。

 

そしてライターという人種は、文章が好きなんだろうと思っていた。

でも、そうでもないみたいだ。

上記の記事は、webで文章を書いている田中泰延さんとpatoさんの対談。以前、田中さんの書籍『読みたいことを、書けばいい。』を読んで惹きつけられてしまった私は、軽い気持ちでリンクをクリックした(そしたらすごく長かった)。けど一気読みしてしまった。

 

この対談で、お二人とも、"文章を書くことが嫌い"だと言っている。田中さんは著書に書いていたから知ってたけれど、patoさんもなのか、と少し驚いた。ライターとは、文章を好きな人がやっているというイメージがあったから。patoさんは、「文章を書くということは、息継ぎなしで潜っているようなものだ。」とまで言う。私は、比喩が儚くて素敵だ…となりました。

 

田中さんの著書とこの対談を読んで、ようやく「ライターとはなんたるや」みたいなのがわかった気がする。なので、田中さんの著書をpatoさんとの対談を交えて紹介します。

 

ライターとは知的好奇心の上に成り立つ

これまでライターとは、文章が上手い人がなれる職業だと思っていた。そして、自分の得意とする分野についてとうとうと語るものだと。しかし、どうもそうではないようだ。

 

田中さんは、「物書きは『調べる』が9割9分5厘6毛だ」と言う。

ライター界では当たり前なのかもしれないが、そんなことさえ知らなかった。

 

知らないことを、徹底的に「調べる」。

 

文章を書くのはその後だ。このライターの真実に、私は心救われる気持ちだった。なぜなら私には、人より詳細に語れるものがないから。

 

文章が上手い人は、世の中にごろごろいる。対して、知的好奇心旺盛な大人はどのくらいいるだろうか。わからない、わからないが、文章が上手に書ける人の方が多いのではないだろうか。知らんけど。

 

文章の上手さよりも、ありあまる知的好奇心の方がライターには必要なのかもしれない、そんな気がした。

 

対象に愛と敬意、真摯さを持つ

これは、田中さんの著書とpatoさんとの対談で書かれていた話。

対象に愛が持てないと、やっぱり文章を書くのは苦しい。

駆け出しライターの私といえども、これはありがたいことに経験がある。

 

私は影響されやすい性格だからだろうが、書き始めた対象にすぐのめり込む。

今まで書いた記事、特に「はちみつ」なんかは、もうめちゃくちゃ好きになったし、なんなら未だに100g1,000円する本物の非加熱はちみつを家に常備しているくらい好きだ。

↑仕事で初執筆のはちみつ記事

 

そして今調べている「チーズ」もほんとうに危ない。チーズ、種類やら食べ頃やら奥が深すぎてマジで沼。ハマりそうで危険(ハマったら本格派チーズは高いから破産です)。

 

一方で、「和食」についての記事を書いたときはなかなか苦痛だった。日本人なのにどうしても和食に興味が持てなかったのである。

そのとき私は、「興味が出そうにない題材には手を出さない方がいいな」と思ったのだけれど、仕事でやる以上避けられない題材だって出てくるわけだ。

 

そういう場合について、田中さんは著書でこう述べている。

対象に対して愛がないまま書く。これは辛い。だが、一次資料には「愛するチャンス」が隠れている。お題を与えられたら、調べる過程で「どこかを愛する」という作業をしないといけない。それができないと辛いままだ。

「調べる」ことを進めることで、対象に愛が生まれる。どこかしら愛せる部分が出てくる。確かにそういうことって多い。最初は興味がなくても、知っていくうちに楽しくなって最終的には好きになる。このサイクルがキマれば勝ちなのだろう。

 

そして対談でお二人は、"文章を書く上では、真摯さとひたむきさが大切"だと言っている。

おごり高ぶって、上から目線で見下ろされているように感じる文章じゃ、人の心は動かない。確かに文章って、なんとなく書き手の温度感が伝わるところがあるなと感じる。この場合も、やはり根本は「愛と敬意」だ。対象に対して、愛と敬意をもって文章を書くと、自然と真摯に書けるのだろうと思う。

 

おわり

文章を書く仕事を始めて、そろそろ1年が経つ。最近、「どのように書けばいいのか」「ライターとしてどのように在ればいいのか」そういうことがわからなくなっていた。しかし、徹底的に「調べる」ことが大事だと知れて、やるべきことがとても明確になったように思う。

 

そうして文章を書くために徹底的に調べていると、私は5歳児かな??というくらい知的好奇心がありあまってくる。超楽しい。もっと知りたい、もっともっと、って、本当に幼少期だった頃の気持ちを思い出すのだ。それがすごく新鮮で、幸せだったりもする。

 

そして田中さんの著書はこちらです。『文章術』とサブタイトルでは謳われているけれど、人生にも通ずることがあった。個人的には、音楽をやる上でも役に立つなあと思うことがありました。おすすめです。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

 

 

「天気の子」が上京2年目の24歳の私に響いた理由

 

映画は、人が動くものしか基本的に観ない。だから今回、「天気の子」を観に行ったのは例外だ。私はミーハーなので、話題になっていると気になって行きたくなってしまう。

結論から言うととてもよかった。めちゃくちゃ泣いた。のでなんでそんなに泣いたのかを考えてみた。

 

東京という街が舞台

主人公、帆高は高校一年生の男の子。彼が家出をして、東京に上京してきたところから映画は始まる。

 

描かれるのは新宿歌舞伎町、ルミネエストのビル、それから田端駅、他諸々。

私は2年前に上京し、この映画の舞台で、描かれているこの映画の背景の中で生きている。

 

2年前の就活の時期には毎週のように新宿駅に降り立ち、バスタを見上げ、歌舞伎町の看板を横目に通ったカプセルホテル。

未知の街、東京。夢が叶う場所だと信じて疑わなかった21歳のあの頃。すごく思い出して、彼のように私も戦ってたんだなあとノスタルジックな気持ちになった。と同時に、今も戦ってるんだと気づいた。東京は、私の街ではないから。ここにいる限り、ずっと気が抜けないのかもしれない。

 

「天気の子」は、帆高だけでなく、東京でがむしゃらに生きようとする人たちが描かれていて、無性にうるっときた。

 

高校一年生、16歳という年齢

無知による怖いもの知らず。そして大切なものをわかっている。そのためには保身をしたりしない。それができるのは若いからなんだなあって。

劇中、「もう大切なものの順番を変えられない」、そんなことを言う大人が出てくる。ああ、なるほど、大切なものを見紛わない大人になりたいと私は思って生きてきたけど、大人になったからこそそれを見誤ってしまうんだな、と思った。若いってすごい。社会に出てある程度世の渡り方を知ってしまった私には眩しくて、羨ましくなった。

 

ラストシーンは

「この映画について『許せない』と感じる人もいるだろうと思いました。現実の世界に適用すると、主人公の帆高は社会の規範から外れてしまうわけです。弁護士の先生にもお話を聞いたんですが、法律で考えても、結構な重罪で…。帆高が空の上で叫ぶセリフも許せないし、感情移入できないという人もたくさんいると思います」

https://movie.walkerplus.com/news/article/200868/ より

 

空の上で叫ぶセリフ、私にはとてもグッときた。賛否両論というのは、あまりにも社会的ではない、無責任だ、ということだろう。だけれど、配慮が足りないのが、社会性が低いのが若さの美しさだ。そんな風に思った。だから私的には賛否両論の賛成側なんだけど、それはきっとないものねだりなんだろう。決して自由の身ではないけれど、自由に心のままに生きている帆高のようになりたいと思ってしまった。

 

RADWIMPSの音楽

そして「君の名は。」の時も思ったが、今回も劇中のいいところで挿入されるRADWIMPSの曲が素敵。

君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての「大丈夫」になりたい

 

RADWIMPS / 大丈夫

曲が綺麗なのもあるんだけれど、それだけじゃない。歌詞を聴かせるために作られているかのような曲。自然と耳に入ってくる、映画の物語をさらに深めてくれる歌詞に涙腺が刺激される。

 

愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい

 

RADWIMPS / 愛にできることはまだあるかい 

 

終わり

映像もとても綺麗だし、スクリーンで観たい映画だと思います。「君の名は。」より良かったという声をよく聞きますが私もそうだった。綺麗なだけじゃなくって、心が苦しくもなるいい映画でした。

では